言葉による注意だけでは根本的な解決にならない2つの理由
こんにちは、あろえです
目次
言葉による注意をしても解決にはならない
日々、ASDのお子さんと関わるときに、その子が不適応な行動を起こした際、支援者としては声を掛けて注意をするという場面が発生すると思います。
今回、この言葉による注意の仕方についてがテーマとなります。
まず、はっきりと伝えたいのが言葉による注意をしても根本的な解決にならないということです。
理由としては、以下の通りとなります
①ASDの受容コミュニケーションの特性を考えると、言葉だけの注意では、確実に伝わるとは言い切れない。
②言葉だけの注意では、相手を注意するというよりは萎縮させてしまう
順番に解説していきます
①受容コミュニケーションから考える
この部分については、障害特性の個人差がありますので一概には言えませんが、 言葉だけでの注意だけでは、支援者の言ったことを完全には理解することが困難であると思います
ASDの方で受容コミュニケーションの特性が色濃く出ている方の中には、聴覚情報よりも視覚情報の方が処理をしやすかったり、視覚情報の中でも、イラストタイプのような情報や実物の写真を見て初めて理解できるような方もいらっしゃいます
また、言葉を字義通りに解釈してしまう方もいます
例えば、「何で言うことが聞けないんだ!外に行って頭を冷やしてこい!」
なんていう注意をしたとしたら、通常であれば、誰もいないところに行って自分の行動を振り返り反省するという行動をとるかもしれません。
一方でASDの方の場合であれば、外に行ったら何か冷たいものを探して、本当に頭を冷やしているかもしれませんね。
といったように、字義通り解釈するという特性の強いお子さんに対しては、言葉による注意をしたとしても、言葉の使い方についても気をつけていかなければならないということなのです
受容コミュニケーションの特性から考えられることとして、支援者の話し方一つでも、相手の表情や雰囲気というのをうまく掴むことができない場合があります。
仮に優しく注意をしたとしても、表情が無愛想であると、本人にとっては「怒られた」という解釈をされる可能性があります。それにより、本人も混乱しこちらの伝えたいことも伝わらなくなるかもしれません
このように受容コミニケーションという特性一つから考えても、言葉による注意だけというのはメリットが少ないというのが分かりました。では、次の理由です。
②相手を萎縮させてしまうということ
上述したとおり、注意するということは状況によっては、ASDのお子さんには全然伝わらなくなります。そして、伝え方によっては萎縮もさせてしまいます
萎縮させるというのは、つまりは気持ちが萎えてしまうこと。相手に怯んでしまうこと。本来の力が発揮できなくなるということです。
ASDの子を支援する上で、マンパワーの状態を作ってしまうのは支援として望ましくありませn。ですから萎縮というのは支援にはならないということなのです。
そして考えていくことは、支援者というのは基本的に立場の強い人です。支援者が萎縮をさせるというのは結構簡単なことです。その萎縮をさせた状態というのはどうなるのか。
その場では、萎縮をしているので、子どもは支援者の言うことを聞きます。
しかし、萎縮をさせていた支援者がいなくなると、萎縮をさせていた分の時間と割合に比例し、反動はでかくなるでしょう。
他の支援者には止められなくなります。しかしその支援者がいれば行動は抑制されます。
どうすれば良いのか?
そのような状態が続けばどうなるのでしょうか?
その強い支援者がいないと成り立たない。その人がいないと支援としてさらに成り立たない
支援というのはチームで行うのが基本です。
指導員という立場の人だけでなく、業種を超えてチームで支援を行いますが、萎縮させることによりそれが成り立ちません。一見成り立っているようですが全然ですね。
言葉による注意、または話し方というのは、ひとそれぞれ特徴があります。強く言える人もいれば、そうでない人もいる。
なので、以上のように言葉による注意だけではなく、支援者皆んなが同じレベルで使用できる支援ツールを同じ仕組み、同じ手順で用いることで初めて支援は成り立ちます。
同じ支援とすることで初めてその子の評価をすることができ、改善し、再度支援を行う。この繰り返しで支援は成り立っているので、その中に言葉が入ることで、その人しかできない特別なステージに入ってしまい、支援というのは遅れることになります。
言葉ではなく、適切な支援ツールで。
注意よりは支援ツールで提案をしてみよう。